小学6年生の夏〜中学入学まで 完全な落ちこぼれ状態
約1年間の入院生活から解放され、小学6年生の夏休み明けから学校に通うようになりました。しかし、そこでの私は、まさに「浦島太郎」のような状態でした。
久しぶりに会った友だちも、どこかよそよそしい雰囲気になっていましたし、私自身も入院前とはかなり違っていました。
例えば、1年間ずっとベッドで寝てたので、とにかく体力がなくなっていたんです。以前はあんなに走り回っていたのに、退院してからは、すごく疲れやすくなっていました。学校に行くのも疲れる、授業を受けるのも疲れる、全校集会とかで運動場に立ってるのも疲れる・・・。
とにかく、何をやっても疲れるようになってたんです。
さらに言えば、体育の授業は全て見学することになりました。激しい運動は当面控えるようにと、お医者さんから言われていたからです。もちろん、休み時間に友だちが外で遊んでいるのにも参加できないので、窓から彼らを眺めながら、すごく孤独感を感じたものです。
そして、何より一番困ったことが、勉強が全然分からなくなっていたことでした。
小学6年生で完全に「落ちこぼれ」に・・・
入院前から成績が良かったわけではないので、当然といえば当然ですが、1年ぶりの学校の授業は、やはり今ひとつ理解できない状態でした。テストなど受けても成績がサッパリで、かなりヤバい状態になっていたんです。
- 勉強ができない
- 運動もできない
小学6年生にして・・・
さすがにこのとき、うちの両親も危機感を持ったと思います。父も母も、何かにつけて、勉強を見てくれるようになったんです。
そして、このころ始めたのが「月刊ポピー」という、家庭学習の教材でした。このポピーという教材に関しては、私がやりたいと言ったわけではなく、親が勝手に申し込んでいたという感じです。気がついたら、毎日母から「ポピーやりなさい!」と言われるようになっていました・・・。
家庭学習教材「月刊ポピー」をやり始めたものの・・・
ポピーという家庭学習教材は、学校の教科書に沿った構成になっています。なので、学校の授業の予習・復習をするのに、とてもいい教材だと思います。
ただし、当時の落ちこぼれ小学生だった私には、正直言ってポピーの内容はかなり難しく感じました。というのも、当時の私の場合は、もっと前の段階の学力が足りていなかったからだと思うんです。
さらに言えば、入院中の約1年間はほとんど頭を使っていなかったので、「理論的な思考」をするとか、「暗記」をするとか、そういうことに拒否感みたいなものがありました。つまり、私の脳みそが「勉強脳」になっていなかったということです。
お恥ずかしい話ですが、泣きながらポピーを拒否したことが何度もあります。「アーッ!!」とか奇声を発しながら、ポピーを壁に投げつけたりしてました。ポピーがイヤでイヤで仕方なかったんです。そのつど、毎回母親に怒られながら、無理やりポピーをやらされていました。
ただし、無理やりやらされていたとは言いつつも、うちの親は、けっこうしっかりフォローもしてくれたと思います。分からないところはひとつひとつ教えてくれましたし、毎月のポピーを最後までやり切るまで根気よく手伝ってくれました。
当時はうっとおしく思ったりもしたんですが、ポピーを毎月しっかりと終わらせていったこのときの経験が、中学に入ってからのブレイクにつながったと思います。今考えると、あのときのうちの親の対応には、やっぱり感謝の気持でいっぱいです。
当時の親の気持ちを考えてみると
おそらく、当時はうちの親も必死だったのかなって思います。特に母は、私が腎臓を悪くしたことに、責任みたいなものを感じていたと思うんです。だからこそ、子供の将来のことを考えて、勉強の遅れを何とか取り戻そうとしてくれていたんだと思います。
ちなみに・・・
これで成績が上がったかというと、そんな短期間で劇的に変化が出るほどあまくはありません。結局、小学生時代は落ちこぼれのままで卒業することになりました。